IE9ピン留め

エコハウスのウソ (第15回)


オール電化はオールエコ?
 今世紀に入り急速に普及したオール電化住宅。全てを解決する「魔法」のように考えている人もいるが、前真之氏は、使い方によっては「増エネ」を誘発してしまう場合もあるので要注意だと指摘する。

 昨今の電力供給の問題などから一時期ほどの勢いはないといわれるオール電化住宅であるが、ここ10年間におけるエネルギー変革の主役であったことは誰にも否定できない。「清潔安全」「快適便利」「省コスト」「省エネ」「省CO2」・・・。全てを解決する「魔法」のようなオール電化住宅、実際のところはどうだったのだろうか。
 オール電化を構成する主要な機器は、三種の神器と呼ばれる「IHヒーター」「エコキュート」「エアコン」である。このうち、後者2つはヒートポンプにより空気熱を集める事で圧倒的な高効率を達成しているとされる。このこと自体は間違いなく「真実」なのだが、実はあくまで「条件付き」。機器を適切に選択し、正しく使うことが不可欠なのである。



ヒートポンプも使い方次第
 例えばエコキュートは、「いつ」「どれくらい」の湯を沸き上げるかをコントロールする「制御モード」をリモコンで変更できる。ここで「深夜のみ」モードを選ぶと安価な深夜電力の時間帯にだけ沸き上がるので、電気代を安くできそうに思われる。しかし「深夜モード」のみに変更すると、エコキュートは昼間の湯切れを防ごうと深夜に湯をタンクへパンパンに貯めるので熱ロスが増加し、極端に効率が低下してしまう。

「省エネモード」を選んでおけば、深夜に「ほどほど」に沸き上げ、昼間に足りなければ追いかけで沸き上がるので効率が高くなる。
 ヒートポンプは、「魔法」ではなく「技術」。日本が世界に誇れる素晴らしい技術であることは間違いないが、そのポテンシャルを引き出すには正しい使い方が不可欠。エコキュートを使っている人は、省エネモードになっているかを今すぐチェックしてほしい。


安けりゃいいじゃん? 

 オール電化住宅の満足度は、一般的に高いとされている。燃焼機器が不要になるので安全・安心・清潔。そして、何より大きな魅力が圧倒的なランニング・コストの安さ。ガスの基本料金が不要になるだけではない。特にエコキュートは1ヵ月あたり1500円程度と、他の燃料で給湯するよりも圧倒的に安い。当初は高かったイニシャルコストも大幅に下がっていることを考えれば、まさに「夢のよう」「最高」である。
それでは一体どこに問題があるのか。一つ目は、オール電化住宅を名乗りながらヒートポンプを使っていない場合があること。ヒーター(電熱器)式の電気暖房機や電気温水器がその代表である。

 電気ヒーターでバンバン暖房すれば、電気代が大幅に増えるのですぐに気付く。電気はもともと他燃料より割高なのだ。ところが、蓄熱式暖房機や電気温水器が電力を膨大に浪費しても、深夜電力は割安なのでコストは大して増えない。だから気付かないうちに、大量のCO2を排出することになってしまう。コスト感覚が「麻痺」してしまった結果、前回取り上げた「省コスト→省エネ→省CO2」の連鎖が働かなくなるのだ。
 二つ目は、ヒートポンプを導入した場合でも「低効率」な使い方を誘導しかねないこと。前途したエコキュートのモード設定にしても、機器挙動をよく監視して説明書を熟読している「詳しい人」ほど、実は「深夜のみ」にしてしまっている。「昼間に沸き上げると高くつくのでは」→「説明書を読むと深夜のみモードがあるらしい」。結果、省コストの努力が見事に「裏目」に出て、増エネ・増CO2につながってしまうのだ。


結局、原子力をどうするのか
 三つ目の問題点は言うまでもなく、電力供給体制の今後が全くもって不透明ということ。前途の問題点は結局、ほとんど全て「深夜電力≒原子力発電」によってもたらされている。「深夜電力料金体系≒原子力政策」が今後どうなるのかに尽きるのだ。筆者には将来がどうなっているかなど、全く予想できない。10年後に大きく変わっているかもしれないし、全く変わっていないのかもしれない。しかし電力の供給体制がどうであれ、省エネ・省CO2は達成しなければならない。だから地道ではあるが堅実な、「省コスト→省エネ→省CO2」の王道を忘れてはならないと信じている。




前 真之:東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 准教授
(日経アーキテクチュアNo.965 P152.より引用)   』


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# by ja_club | 2012-01-27 10:41 | 住宅 | Trackback

エコハウスのウソ(第14回)


目指せCO2削減?

消費エネルギーをCO2に換算することが当たり前になり、「日々、CO2削減に励むこと」が美徳とされる世の中になってきた。だが、前真之氏はそうした自己犠牲的アプローチは長続きしない、とみる。

 はじめに断っておくが、筆者は地球温暖化そのものに疑義を持っているわけではない。
 「地球温暖化はウソ」とする「地球温暖化懐疑論」なる書物がちまたにあふれているが、そうした懐疑論のほとんどはデータの一部のみを取り上げるなど、誤った分析と誤解に基づいた「誤診」であることが明らかになっている。(IR3S/TIGS叢書No.1「地球温暖化懐疑論批判」http://www.ir3s.u-tokyo.ac.jp/sosho)
 筆者は、CO2を減らすことは「絶対に必要」と考えており、懐疑論にくみするつもりは毛頭ない。しかし、「CO2削減そのもの」を目的にするべきではないと考えている。



CO2は計算できる?
 そもそもCO2排出量は、算出すること自体が容易ではない。石化燃料をそのまま燃やす場合には、燃料の種類ごとに出てくるCO2はほぼ一定である。図1に見るように、石炭は「炭素の固まり」なのでCO2排出量が大きく、最も避けるべき燃料であることは明らか。逆に天然ガスは水素分が多いのでCO2排出量はすくなく、環境にやさしいとされる。ココマデはごく簡単。
 ややこしいのは電力である。ご存じの通り電力事業者は、化石燃料はもちろん、水力・地熱や原子力など「CO2排出がない」とされるエネルギー源までも組み合せて発電を行っている。最終的に電気になりさえすれば、もとのエネルギー源は何でもよい。そして、このエネルギー源の「ベストミックス」のやり方は、地域の電力会社によって大きく異なっているのである。
 各電力業者が実際に出したCO2は図1の「実排出係数」になる。最小の関西電力と最大の沖縄電力とでは、同じ電力量当たりのCO2排出量には実に3倍近い開きがある。これは、関西電力は原発比率が約50%と非常に大きく、逆に沖縄電力はほとんど石炭に依存しているからである。同じだけ電気を使っていても、地域をまたぐとCO2排出量は大きく変化してしまうことになる。



カネの切れ目で排出権も
 さらにややこしいのが、「調整後排出係数」の問題である。これは何かというと、電力事業者が国内や世界から「CO2排出権」を購入してきて、実排出量から「差っ引いた」値のこと。CO2排出権とは、CO2を努力目標に以上に削減できた場合、その「余剰分」を売却できると京都議定書で認められたものだ。つまり、他人の削減実績を購入することで、「自分の分をチャラに」できることになる。
 「実排出量」と「調整後排出係数」の差が大きい電力事業者は、「電力は省エネCO2」という金看板を守るために、CO2排出権の購入にかなりの金額を海外に支払っていることになる。しかし今後、こうした排出権の購入は非常に難しくなるのは想像に難くない。まさに「カネの切れ目は」である。
 おまけに原子力の稼動比率が低下していくなか、古い(低効率な)火力発電所を再稼働して石炭をバンバン燃やせば、「実排出量」が激増するのは不可避。実は「実排出量」は年度ごとでも大きく変化している。このように、CO2排出量は地域や年度によって大きく変化してしまう、「当てにならない」数字なのである。


まずは「省コスト」から
 先の震災前までは京都議定書の評価期間(2008年~2012年)ということもあり、CO2削減が「金科玉条」であったが、今となっては「忘却の彼方」である。
 ズバリ言って、ほとんどの人には「省エネ」も「省CO2」も所詮はオマケ。エネルギーが「何MJ」だとかCO2が「何kg」などと言われて、ピンとくる人がどれだけいるだろうか。肝心なのはただ一つ、「省マネー」である。
 だから、おカネのチカラを直視し、生かすべきである。「何円」であれば、誰でも即座に理解できるのだから。
 省エネの調査をしていると、電気・ガスの検針票を1年分以上保存している人が少なくないことに驚かされる。「エネルギーの恩恵(快適性)」記号⇔「コスト(光熱費)」のバランスは厳しく精査されているのだ。この「人的エネルギー」を生かさない手はない。その「省コスト」の努力がいつの間にか「省エネ」につながっている・・・。これこそ、みんなの幸せにつながる「王道」ではないか。

 繰り返すが、「省エネ」も「省CO2」も絶対に必要。しかし、「自己犠牲的」なアプローチは結局、長続きしない。「当たり前に」できる「自然な」アプローチこそ、今の疲幣しきった日本には求められているのではないだろうか。



前 真之:東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 准教授
(日経アーキテクチュアNo.964 P82.より引用)   』


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# by ja_club | 2012-01-20 09:28 | 住宅 | Trackback

エコハウスのウソ (第13回)


省エネよりゼロエネ?

再生エネルギーへの関心が高まってきた。「ゼロエネ」という言葉の広がりはそれを象徴する。しかし、ゼロエネだけを目的にすると、住宅のバランスがおかしくなってしまうと、前真之氏は危惧する。

 ゼロエナジー・ハウス(ZEH)というキーワードをよく耳にするようになった。今までは「省エネ」という言葉がもっぱらだったが、「ゼロエネ」の方が何やらすごそう。実際はどうなのだろうか。
 そもそも、慣れ親しんだ「省エネ」とは何を意味するのか。大辞泉(小学館)によると「石油・電力・ガスなどのエネルギーを効率的に使用し、その消費量を節約すること」とある。
 1979年に制定された「国内のエネルギーの使用の合理化に関する法律」、いわゆる「省エネ法」の目的は、「内外におけるエネルギーをめぐる経済的社会的環境に応じた燃料資源の有効な利用の確保に資するため・・・」と、「国家の安全保障」の色合いが非常に強い。1973年のオイルショックを契機に、石油依存から脱却することが最優先であったことがうかがえる。



 しかしながら、オイルショックを直接経験した世代はいざしらず、(自分も含めた)その後の世代にはむしろ、Wikipedia(インターネット上のフリー百科事典)の説明の方がしっくりくる。「日本の省エネは、オイルショックのときにエネルギーの安全保障の面から始められた。1990年代以降、地球環境問題、特に温室効果ガスの削減が社会問題化して以降、その手法の1つとして重要なものとなっている」


省エネは時代とともに変化
 つまり、省エネは時代ごとに意味を変化させてきた。そこに共通する理念とは、「同じ社会的・経済的効果をより少ないエネルギーで得られるようにすること」になる。
 これを住宅に当てはめると、「同じ生活レベルをより少ないエネルギーで」となる。高断熱・高気密化や設備機器の高効率化は、まさにこれに当てはまる。前回論じた太陽熱の給湯や暖房への利用も、必要なエネルギーを削減するため省エネに含まれることが多い。
 「省エネ」は、意味は変われど社会のニーズに応えながら長い時間を生き延びた。「タフで長生き」な言葉ということができる。


ゼロエネの行き着く先は?
 ただし、省エネ技術ではエネルギーの削減はできても、最低限必要なエネルギーはどうしても残ってしまう。地球環境問題への関心が高まる中で、さらに進んだ形として「ゼロエネ」が登場してきた。自然界から循環的に得られるCO2などを排出しない「再生可能エネルギー」を利用することで、省エネでは削れない部分のエネルギーを賄おうとするものである。



「再生可能エネルギー」はいくつか種類があるが、こと日本を念頭におくと、現実的なのはやはり太陽光発電ということになる。
 最近は、この「ゼロエネ」が注目され、省エネは「もう古い」といわんばかりである。現状の「ゼロエネ」住宅では、概ねしっかりした「省エネ」手法が尽くされた後に最低限を再生可能エネルギーで賄っているので、両者は「共存」している。だから、「省エネ住宅の進んだもの=ゼロエネ住宅」程度という認識が一般的ではないだろうか。
 しかし、これはあくまで現状の話。再生可能エネルギー(≒太陽光発電)が「高くつく」ので、むやみに載せられないからまずは省エネせざるをえない。しかし、本当に(政府目標のような)低価格化が実現すれば、既存の多くの省エネ技術よりも安価になる。その場合、省エネが再生可能エネルギーか、どちらかだけを選ぶことが予想される。ほとんどの家庭のマイホーム資金は無尽蔵ではないのだ。


家は公器、王道は省エネ
 結局、ゼロエネ自体を目的にしてしまうと、「家は人が住む場所」という事実を忘れがちになる。家は太陽光発電を載せる単純な「台」ではない。それに、太陽光発電で収支が差し引きゼロになったとしても、結局は系統電力(と発電所)なしには成立しないのだ。
 バイオマスがCO2を出さないからといって、断熱・気密を行なわずに薪ストーブに頼るのも考えもの。いくら薪を燃やしても高断熱・高気密住宅のようなムラのない温熱環境は得られないし、そもそも膨大な薪を割るのが大変である。
 今回の災害で、高断熱の家では暖房無しでも凍えずに済んだ、太陽熱温水器で停電でもお湯が使えて助かったという声を聞く。このように「省エネ」は住宅の質を上げて生活水準を支える、人にやさしい徳のある「王道」である。家は人の住む「公器」であることを、ゆめゆめ忘れる事なかれ。


前 真之:東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 准教授
(日経アーキテクチュアNo.963 P70.より引用)   』


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# by ja_club | 2012-01-13 12:28 | 住宅 | Trackback

年の初めに

年の初めに

もう平成24年も松の内どころか今日は鏡開きとなってしまいましたが、改めまして新年のお祝いを申し上げます。m(_ _)m

さて、私はメルマガとブログで建築関係の情報を発信しています。
ブログの連載、「エコハウスのウソ」はあと4回で終了し、メルマガと共にそのネタに苦労していますが、今少し頑張って行こうと思っています。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。ヾ(*´∀`)ノ


家探し

僕の娘が、連れ合いの来年の福岡への転勤を前に、そして消費税が上がる前に・・・と家探しを始めました。

トコロガ・・・情けないことに・・・僕の娘でさえ、不動産の価格決定の仕組を知らなかったのです。(o´_`o)ハァ・・・

そして当然、「建売り」と「注文住宅」(建築条件付土地)が同じものだとか、リフォーム済住宅は買ってはいけない!ナ~ンテことも知りません。Σ(・ω・ノ)ノ

そこで娘に説教をしました。ヽ(*`Д´)ノ

 1. 家は造る(建てる)ものであって買う(商品)ものでは無い。
 2. 今後、土地が値上りすることは無い。下がる一方である。
 3. 今から作る家は100年~200年の耐用時間のあるものでなければならない。
 4. 3.に関連し、100年~200年の後にも価値を保てる文化的、文明的なものでなければならない。
 5. リフォーム済と詠った中古住宅を買ってはならない。
 6. 1.3.4.に関連し、建売住宅や建築条件付(注文住宅)を買ってはいけない。
 
1.から6.まで全て僕が過去にメルマガやブログで書いて来たことばかりです。
デモ・・・娘に話したことはありませんでした。燈台元暗し・・・デス。

オット、ブログとメルマガの材料が出来ました。
次回から1.~6.の理由を再度解説したいと思います。

 ホンジャマ、正月ですからこのあたりで、バハハーイ!
                   ♪~(*´∀`*)~~(*´∀`*)~♪


 追伸
 ブログの「エコハウスのウソ」は金曜日より毎週発信して、2月3日に終了します。


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# by ja_club | 2012-01-11 09:42 | Trackback

エコハウスのウソ (第12回)


屋根に太陽光を載せるべき?

ほとんどのエコハウスの屋根には太陽光発電システムが載っている。果たしてこの選択は常に正しいのか。東京大学の前真之准教授は、必ずしも載せればよいとは限らないという。

第10回と第11回で、住宅における太陽光発電について考えてきた。そして、今回の結論は「条件のよい場合はシッカリ載せる。悪条件ならさっさと諦め、他を考えるべき」。以下、その理由を説明していきたい。

自立といってもパラサイト
 人類は化石エネルギー中毒から脱却して太陽エネルギーに戻る必要に迫られている。人類が夜型の生活を続ける以上、昼の太陽エネルギーを夜のために「貯めておく」必要がある。
 昨今話題の住宅用蓄電池は、自宅に金庫をつくって「自宅預金」するようなもの。



昼間に太陽光の電気を貯めておき夜の需要をまかなうことで、自然エネルギーによる「完全自立」が可能。ただし、蓄電池は高度な技術とレアメタルを大量に必要とするため非常に高価。将来はともかく、現状では現実的でない。
 より現実的で普及しているのは、つくった電気を自宅では貯めずに外の系統に売電する「マーケット」型である。いわば、昼に稼いだお金をせっせと株式マーケットにつぎ込んで株を買い、夜に株を売って生活費にまわすようなもの。うまくいけば、「夜に必要なお金<昼間に買っておいた株」となって、差し引き「お釣り」がくる。自宅に現金(電気)を置かずにすむので、金庫(蓄電池)が要らない。電気は「貯めるのは難しい」が「送るのは簡単」なので、理にかなった「自立」のやり方である。
 ただしこのやり方は、夜に誰かが電気を供給してくれないと成り立たない。つまり、火力発電所が不可欠となり、化石エネルギーへの依存を断ち切れない。結局は「パラサイト(寄生)」なのだ。

ライバルは「田んぼ」
 さらに大事なことは、「マーケット」では過酷な競争が待っているということ。太陽光でつくった電気をひとたび系統電力に接続してしまえば、他につながっている発電手段は全て競争相手。電気は搬送ロスが小さいので、自宅で発電しようとはるかかなたの発電所で発電しようと全く同じ。一度つながった電気に「色はない」のだ。
 「太陽光の電気はスペシャルだ」と言われるかもしれない。しかし、「太陽光の電気だっていろいろ」。工場の広々とした屋根や広大な空き地に、「メガソーラー」と呼ばれる大規模な太陽光発電施設が次々に登場している。海外では砂漠に敷き詰めているケースも多いが、強い日射しがあり雨が少ないのだから非常に理にかなっている。
 つまり、太陽光発電は津々浦々どこにでも付けてよい。そして、太陽光パネルは製造時に大量のエネルギーと希少物質を消費するので非常に高価。だから、せっかくつくったパネルには「目一杯」働いてもらうため、できるだけ好条件の場所に付けるべきである。
 結局は系統電力に依存してしまう以上、家で電気を使うからといって家で発電する必要はない。今まで住宅に太陽光発電が載ってきたのは、政策的な特別扱いの結果に過ぎない。著名な起業家が提唱している「休耕田で太陽光発電」のビジネスプランは、まさにこの点を突いている。
 あえて住宅に載せるからには、田んぼにギッシリ敷き詰めるのに負けないくらい効率よく発電できなければならない。
 太陽光は、設置の方位・傾斜で発電効率が大きく変わる。周辺建物や樹木・電線などのわずかな影でも、出力が大きく低下する。そのため、本当に太陽光発電に向いている屋根は多くない。だから敷地条件を見極め、好条件なら「シッカリ載せてシッカリ発電」。中途半端は禁物。「ライバルは田んぼ」である。

太陽熱に必然あり
 そして、太陽光発電が無理そうなら、さっさと他の自然エネルギー利用を考えるべき。例えば熱は、電気とは全く反対の特性を持っており「送るのが難しい」。熱は送る際のロスが大きいので「新鮮なうち」に使う必要がある。だから太陽エネルギーをひとたび熱に変換したら、その熱は家の中で使い切るしかない。つまり、太陽熱システムは田んぼに置いても仕方ない。家に「置かざるを得ない」必然があるのだ。
 一方で、熱は「貯めるのが簡単」という大きなメリットがある。昼間の太陽熱を夜の給湯・暖房に回すことは、タンクの水や基礎のコンクリートを使えば至極容易。屋根の集熱パネルにしても、太陽光とは比較にならないほどシンプルで安価なので、適当に付けても気にならない。さすがに太陽熱で照明やパソコンを動かすことは無理だが、給湯・暖房を賄えれば必要な電力は相当少なくなって、「完全自立」に大きく近づくことができる。手軽で割の良い話ではないだろうか。
 以上3回にわたって、太陽光と太陽熱の比較を行って来た。一つの技術だけを見てみていては本質を見失う。「環境技術」についても「批判的」な比較検証をオススメしたい。


前 真之:東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 准教授
(日経アーキテクチュアNo.962 P80.より引用)   』


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# by ja_club | 2011-12-13 13:54 | 住宅 | Trackback

エコハウスのウソ (第11回)


エネルギーは創り出せる?
ほとんどのエネルギーは、太陽エネルギーが姿を変えたもの。しかし、このエネルギーを亨受できる時間と現代人の生活時間は一致しない。東京大学の前真之准教授は、まずはこの点を認識するべきという。

太陽光発電と太陽熱のどちらが良いのか。結論を出す前に、まずはエネルギーとCO2の関わりについて、簡単に整理しておきたい。


エネルギーを「創り出す」?
 太陽光発電については、「エネルギーを創り出す」「創エネ」という言葉が多く使われる。さながら「ゼロから」生み出すかのような印象を受けるが、本当だろうか。
 正確に言えば、エネルギーを「創り出す」ことなど人智の及ばぬところ。人間にできるのは、元々どこかしら存在していたエネルギーを、利用しやすいように変換することでしかない。人間にとって有用な熱・運動・光・電気エネルギーを、何から変換して持ってくるか、が本質である。
 地球上のエネルギーのほぼ全ては太陽起源である。



例外は原子力程度であり、ほぼ全てのエネルギーは太陽エネルギーが形を変えたもの。太陽光発電だけが特別扱いされるべき理由は何もない。古来より人類は、「自然エネルギー=太陽エネルギー」に依存してきたわけだが、なにぶんにも密度が低く冬には不足しがちである。そこで、生い茂る植物が太陽エネルギーによって大気中の炭素を固定化した、薪や植物油を利用するようになった。「おじいさんは山に芝刈りに・・・」の世界である。これで寒い冬にもいくばくかの熱や光を得ることができるようになったが、やはり限界がある。だから、昔の人は夜明けとともに起床して太陽エネルギーのある昼間に主に行動し、日暮れとともに就寝したのである。


化石エネルギー中毒
 19世紀に入ると人類は、石油・石炭・ガスのような化石燃料が高密度のエネルギー源で使い勝手がよく、地下を掘ればどんどん出てくることに気づいた。化石エネルギーから熱や光を好きなように得られるようになったため、太陽エネルギーの束縛から離れて好き勝手な生活ができるようになった。真っ暗な夜中に煌々と照明をつけて夜更かしをし、挙句は寒い冬に暖房を効かせて冷たいビールやアイスクリームを飲み食いするまでになったわけである。
 こうして人類はすっかり「化石エネルギー中毒」になったのだが、この当てにしていた化石エネルギーが、実は地球環境を破壊するリスクが高いことが発覚した。植物は光合成により気の遠くなるような長い時間をかけて大気中のCO2を固定化し、今日の地球環境をつくり上げてくれた。その際に地下に隠された炭素が化石エネルギーの正体だったわけだが、人類はそれを喜びいさんで燃やし、CO2を大気にぶちまけてしまった。何か起こらない方がおかしい。いつまでも化石エネルギーに頼っているわけにはいかなくなってきたのである。


太陽がない時に必要
 こうしてもう一回、太陽エネルギーに「直接」頼る必要が出てきたのであるが、どっぷりと化石エネルギーの恩恵におぼれて好き勝手に暮らしてきた「中毒患者」を、自然エネルギーに頼る「禁欲的」な生活に復活させようとするのは容易ではない。「禁断症状」が出てくるのは避けがたい。
 日本の気候条件を考えると、太陽エネルギーの利用は風力などよりも有利とされている。しかし、太陽エネルギーは1日の中でも通年でも、非常に変化が大きいという宿命を持っている。おまけに、太陽エネルギーとエネルギー需要の変動は大きく反対である。



これは、夜や冬に「明るく」「暖かく」暮らそうと、「太陽を補うために」エネルギーを使っているのだから、考えてみれば当たり前。これをならす「タイムシフト」が必要になるのだが、それは次回のお題。


前 真之:東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 准教授
(日経アーキテクチュアNo.961 P82.より引用)   』


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# by ja_club | 2011-11-30 15:49 | 住宅 | Trackback

エコハウスのウソ(第10回)


ソーラーは太陽光発電だけ?

 前回まで、エコハウスの空間構成について熱や空気・光など様々な側面から、定石とされる設計手法が必ずしも有効でない可能性を検証した。正直なところ、筆者自身も「吹き抜けはエコ」と漠然と思い込んでいた。それが多くの現場を定量的に計測する中で、少しずつ疑問を持つようになってきた。一度疑問を持って自分で考えだすと、「なぜこんな当たり前のことに気付づかなかったのか」と自分が愚かに思えるもの。今までの稿は自己批判に他ならない。
読者の方々も、できれば簡単な計測器を使って、ぜひ「定量的」な計測にチャレンジしてほしい。「おや?」と思う現場に出会ったらすぐ計測し、いくつかの物理原則に照らして自分で考える。それが、建築の空間と環境の真実に近付く近道である。

エコハウスのお約束
 本連載の残りの稿で、エコハウスの「エコ」たる本丸、「エネルギー論」「CO2論」に少し触れることとしたい。エコハウスといえば、カタログやホームページには、消費エネルギーやCO2排出量の「試算」があるのがお約束だが、これがなかなかややこしい。その原因の一つは、熱と電気の関係がデリケートということにある。
 昨今はさかんに「自然エネルギー利用」が叫ばれているが、実質は太陽光発電「一本槍」。かつては太陽といえば、郊外の住宅の屋根に乗っかっていた「太陽熱温水器」が定番だったはず。それが現状の出荷状況では、悲惨なくらい差が付いてしまっている。



太陽エネルギーは、どちらで使うべきか、そこから熱と電気の関係を考えてみよう。

太陽光発電は必要か
 およそエコハウスと名の付くもので太陽光発電を載せていないものはほとんどお目にかかれない。官民を挙げて太陽光発電の推進に猛進しているわけだが、いったい太陽光発電の何がそんなによいのだろうか。
 太陽光発電の最大のメリットは、何より「電気ができる」ことに尽きる。何を当たり前にと思われるであろうが、電気というのはエネルギーの形態の中でも格が違う。
 よく「太陽光発電は太陽エネルギーの10%しか電気にできず効率が悪い」という議論があるが、これはあまり意味がない。確かに太陽熱温水器では、太陽エネルギーの40%以上を熱エネルギーの形で集めることができる。しかし、熱と電気では全く質が異なる。熱いお湯は立派な熱エネルギーを持っているが、その熱で洗濯機や掃除機が動くだろか。テレビが見られ、パソコンで仕事ができるだろうか。つまり、「電気にはできて、熱にはできないこと」がたくさんあるのだ。

電気は「りんごジュース」
 この原因は、電気と熱は同じくエネルギーといっても「質が違う」ため。言うまでもなく電気の方が圧倒的に質が高い。発電所で石炭や石油を燃やしても、その熱エネルギーの一部しか電気にすることはできず、送電する間のロスもある。一般的な火力発電所から届けらる電気は、燃やした燃料の熱エネルギーのたかだか37%にすぎない。つまり家に届いた電気は、その3倍近い燃料を焚いてできた、とても貴重なものなのだ。



例えるなら、電気は「りんごジュース」のようなもの。飲みやすくてりんごの旨みが凝縮されているが、知らないところでたくさんのりんごが絞られて大量のカスが捨てられている。この燃やされた燃料(りんご)の熱量を「1次エネルギー」、得られた電気(りんごジュース)を「2次エネルギー換算」と呼ぶ。電気を他のエネルギーを比較する時は、この1次エネルギー換算が基本である。
こうしたつくられた貴重な電気は,何より「電気でしかできないこと」に優先的に使わなければならないのは言うまでもない。

太陽光の圧勝か
 このように電気の質の高さを考えると、太陽光発電の発電効率は見かけ上は低くても、発電所の効率まで考えた1次エネルギー換算の変換効率では、太陽熱温水器と同等である。
(図2)。そうなると、電気の便利さだけが目立ってしまう。
 それでは結局、太陽光発電の圧勝なのか。話しがそんなに単純であれば、わざわざここで取り上げたりしない。太陽光発電は、エコハウスの実態を端的に反映している好材料。次回以降の数回にわたり、その本質について考えてみよう。


前 真之:東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 准教授
(日経アーキテクチュアNo.960 P82.より引用)   』


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# by ja_club | 2011-11-16 16:53 | 住宅 | Trackback

エコハウスのウソ (第9回)


隠せばハッピー?

「美に用は無縁のもの。家の中で最も有用な場所はトイレである」。モダン建築における「レス・イズ・モア」の美学を前にしては、空調や給湯といった忌まわしい設備などに、居場所などあろうはずもなかった。

エアコンは隠すな
 エアコンは、なぜかすぐ隠されてしまいやすい。特に和室では、壁にガラリを設けて屋内機を押し込んでしまったケースをよく見かける。



見た目はスッキリであるが、これで暖房をしようとすると空気は下に吹き出せず、暖かい(軽い)空気が上に滞留するだけで、全く暖まらない。



暖房をきちんと行なうためには、エアコンは「飛び出さざる得ない」のである。
さらに屋外機。あまり見栄えのするものではないが、これが動くのは、ヒートポンプが空気の熱を稼いでいるから。省エネのためには不可避である。この屋外機こそ、「心臓」であるコンプレッサーを内蔵し熱を作り出す「主役」。見苦しいからといって囲っては夏の排熱・冬の集熱に必要な空気の流れを妨げてしまい、性能が大幅に低下する。



 ちなみに、1つの屋外機に複数の屋内機をぶら下げられるマルチエアコンは、一般に形式も古く割高、おまけにエネルギー効率も低い。「屋外機を1つにしたい」だけの理由で安易に採用しないこと。

「床暖房ラブ」の真実

 エアコンとは対照的に、設計者に好まれる暖房といえば床暖房をおいて他にない。音や風を起こさず、温度ムラのない良質な温熱環境を作ることができる。しかし、設計者にとって最大の魅力は、「設備を完全に隠蔽できる」ことに尽きるのではなかろうか。モダンリビングの必須アイテムといえる床暖房、実は弱点をいくつも持っている。
 まず、加熱能力が低く立ち上がりに時間がかかる。床暖房による空気加熱は「自然対流」によるが、これは第4回で扱ったように加熱量が制約される。床表面温度を上げれば加熱量を増やせるが、身体に直接触れる床暖房では低温やけどのリスクがあり、それも困難。結局、その加熱能力は最大でも1m2当り200W程度。放熱面の敷設率(通常60~70%)を考えると、10畳(18.6m2)では2000W以下の加熱量しかならない。強制対流方式であるエアコンやガス・石油ファンヒーターが6000W程度に比べると、3分の1程度の能力しかないことになる。
 さらに、床暖房は放熱パネル下面や配管からの熱ロスが大きく、また熱源効率に限界があり、エネルギー効率が低くなりがちである。省エネに床暖房を行なうには、効率的な熱源や放熱パネルの採用・床下や配管の断熱強化など、注意深い設計と施工が不可欠である。見えないからと手を抜いていると、「床下に潜ったら暖かくてビックリ」になりかねない。

好都合な電気ヒーターは「×」
 電気ヒーター式の「電気床暖房」「電気温水器」はとっても魅力的。メンテナンスフリーで抜群に長寿命、しかも安価。設置は電線をつなぐだけ、熱焼式やヒートポンプ式のように外気に接する必要もない。完全に無音・無臭で、どこにでも隠しておける・・・。やたらと好都合なのだが、実は貴重な電気エネルギーをただ黙々とジュール熱に変換してしまうため、エネルギー効率は最悪。電気で暖房・給湯をする場合には、空気熱を集めて効率を稼ぐヒートポンプ式を絶対に選ぶこと。ヒーター式の魅力には、くれぐれもご用心。

設計が設備を飲み込むために  

ある有名自動車メーカーのモットーは、「全ての細部が必然」。設備の形態は物理の必然に真正面から向き合った結果の産物。なぜ「見える」のか、「出っ張っている」のか、「音がする」のか・・・。そこに不思議や魔法は存在しない。「毒を食らわば皿まで」の気持ちで、今一度設備に向き合われてはいかが。


前 真之:東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 准教授
(日経アーキテクチュアNo.958 P85.より引用)   』


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# by ja_club | 2011-11-09 10:32 | 住宅 | Trackback

エコハウスのウソ (第8回)


通風はクール?
 
 エコハウスの設計で最重視されているのが、この「通風」。建築の平面・断面図の上に踊る、華麗な「風の線」は、もはやお約束である。この連載で繰り返し論じてきた吹き抜けも、まさにこの「通風のため」。そんなに通風はクールなのだろうか。

クールな空気を探せ
 通風の目的は、主に2つである。
1.人体周りの気流が放熱を促進し、人に高い空気温度を許容させる。
2.室内でこもる熱を排出し、室温を外気並みに抑える。
1.は第1回のオルゲ―の図に示された、比較的理解しやすい効果。ある程度の風速が必要だが、扇風機やシーリングファンで補うことも可能である。2.の効果も、家電などの内部発熱が増加している最近の住宅では特に重要である。ただし、「室温を外気温度並み」にするのがせいぜいなのは、当然ながら要注意。つまり、「外に涼しい空気」がなければ意味がないのだ。
農村のように広い敷地に緑が豊富ならば、外気は涼しく冷されている。しかし現在の市街地の空気は、道路のアスファルトや車の排ガス・エアコンの排気などで加熱・汚染された、「ご遠慮したい」シロモノ。まずは本当に通風するべきか、敷地を冷静に分析することが肝心である。



まず間隔、次に平面設計
 周辺環境が好適であれば、次に建物の配置と平面・断面計画を行なうことになる。いくつかの条件で、数値流体計算で検討した結果を図2に示す。
 ケース1と2は、周りに何も建っておらず、通風には理想的な「大草原の一軒家」。風が建物によく当るため、風上・風下の両方の窓を開けたケース1では大量の風が室内に流入している。ただし、風下側しか開けなかったケース2では室内を流れる流量は激減している。通風には、風上・風下の両方開口がまず不可欠であることが分かる。当然ながら、隣に建物があると風は簡単に遮られてしまう。ケース3では風上側の家を15mと大きく離して配置しているが、それでも室内を通過する風量は4分の1程度になってしまう。隣棟間隔が狭い密集地では、垂直方向の通風計画が有効とされるが、吹き抜けと天窓を設けたケース4でも風量の増加は30%程度であり、劇的な効果がある訳ではない。ただし、天井上部にたまった熱の排出には有効である。(図2C)
 通風で重要なのは、まず周辺建物との間隔を十分に取り、その上で風上・風下の両面に開口を設ける「平面計画」であることが分かる。吹き抜けや天窓による「断面計画」による対策は、ある程度有効であるが、「劇的ではない」ことに注意が必要である。


「適度な期待」をクールダウン
 通風で涼をとることは、かなり好条件の敷地でない限り難しい。密集した住宅地ではなかなか条件を満たせないし、周辺環境の変化にも大きな影響を受けてしまう。「エコハウス」の多くは緑が豊富で広大な敷地に建てられているため見過ごされがちだが、市街地に立てた場合にどうなるのか、想像力をたくましくすべきである。
 暑さの穏やかな夏の初めや終りに通風を利用することで、冷房を必要とする期間を短くすることは十分に期待できる。しかし本当に暑い時期に通風だけで対応することは、どだい無理。どうせ冷房を使うのであれば、必要な空間だけに間仕切った方が効率的。通風最優先の開放的な空間は、効率的な冷房の障害となってしまう。そして何より、第2回で論じたように、冷房の消費エネルギーは暖房の「10分の1」。冷房を少しばかり減らそうとしたばかりに暖房が増えてしまっては、「つじつまが合わない」のだ。
 夏の建築的対策としては、日射の遮蔽・遮熱の方がはるかにローリスクで「手堅い」。通風については、期待ほどほどに、冷静な敷地観察を建物設計が求められる。過剰な期待には早めに「冷水」を。




前 真之:東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 准教授
(日経アーキテクチュアNo.958 P85.より引用)   』


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# by ja_club | 2011-10-14 15:32 | 住宅 | Trackback

エコハウスのウソ (第7回)

本文の前に日本で初めて開催されるUIA(世界建築家連合)東京大会のご案内を致します。ヾ(*´∀`)ノ
UIA大会は3年に世界のいづれかの国で開催されていますが、我が国では初の開催です。
来る25日から28日迄、東京国際フォーラムと日本橋三井ホールを主会場に多くの催事があり、26日の開会式には両陛下の行達もあります。又、関連行事も都内各所であり、丸の内地下通路には世界の建築家作品展もありますよ。
役員会以外の催事は一般にも開放されていますので東京近郊の方は、是非お出かけになってみてはいかがでしょうか。
詳しくはJIA(日本建築家協会)のホームページでどうぞ。\(´∀`)丿\(´∀`)丿

デ、本題の第7回ですが、この文章は他人様のものです。住宅について技術的な観点からの研究論文ですので専門家からは当然反論のある部分もあります。そういうことを理解の上で読んで下さいネ。

それでは第7回の始まりハジマリー!(>▽<)ノ



もっと光を?
光の強さを表すのが照度(単位はルクス)。リビングなどでは100ルクスから200ルクスあれば十分である。ただし、空間を「明るく」感じるかどうかは、照度の絶対値だけでなく、明るさの対比である「コントラスト」も重要になる。照度の高いところと低いところが隣り合うと、高い方はより「明るく」、低い方はより「暗く」見えてしまうのだ。
窓を大きくすれば、確かにより多くの太陽光が室内を照らす。南面に大開口を設けた場合、窓際は太陽光に直接照らさせるため、その明るさは数千ルクスにも達する。



しかしこれは「明るい」というより「明るすぎ」。まぶしすぎて、読書や作業には辛い。
 一方で部屋奥(手前側)はひどく暗くみえているが、実際には200ルクス程度の照度があり普通の作業には十分な明るさである。だが窓際が明るすぎるので、部屋奥は相対的に「暗すぎ」に感じてしまう。こうして、本当は必要ない照明をついついオンにしてしまうことになる。
 自然光利用の注意点は、日照はそのままでは「明るすぎ」るため、適度な遮蔽が不可欠なこと。むやみに窓を大きくすることは逆効果になりかねないことを、よくよく認識すべきである。

「もれなくオマケ」の日射熱
 好むと好まざるとにかかわらず、太陽光には「もれなく」日射熱が付いてくる。この日射熱、夏場には室内をあっという間に蒸し風呂にしてしまうのはご存知の通り。
 日射遮蔽の要である庇は、窓の高さに対して「どれだけ飛び出せるか」が重要だが、設計では夏至の太陽高度だけ想定している場合が少なくない。しかし、実際に暑いのは8月や9月。



その頃の太陽高度はかなり低く、生半可な「飛び出し」では防ぎきれない。外ブラインドなどが有効だが、風の強い日本では困難が多い。大開口の日射制御は悩みが深い。
 天窓も根強く愛好されているが、夏場には日射が直上から突き刺さり、非常にリスクが高い。



室温を数値計算で再現すると、普通サイズの窓ではピークで43度なのが、大開口ありとなると56度まで上昇する。



天窓ありでは65度にも達し、もはや殺人的となる。

足元に忍び寄る冷気
 大開口は、夏場ばかりか冬にも大きなリスク要因となる。窓は壁などに比べると断熱性が低く、どうしても熱的な弱点になる。その結果、窓で冷された空気が重くなって降下し、足元に忍び寄る「コールドドラフト」が発生してしまう。



大開口では、この現象が特に強く発生するため、さらに不快となる。
 壁に大胆にうがたれた窓は、建築の最も魅力的な部位。しかし窓は、屋外と屋内をつなぐ最も重要なインターフェース。その魅力に夢中になるあまり、窓の見かけの薄さ・軽さに込められた、機能の「厚み」と責任の「重さ」を認識しなければ、イエは人を苦しめる「監獄」に成り下がる。

前 真之:東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 准教授
(日経アーキテクチュアNo.957 P84.より引用)   』



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# by ja_club | 2011-09-22 17:36 | 建築 | Trackback

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